鈴木洋二のプロフィール

愛媛県の新居浜という町に生まれる。

中学までは、自分で言うのも何ですが、品行方正、スポーツ万能、親(特にお袋)の言うことはよく聞き、学業も部活も好成績を残す優等生。中でも、テニスは、総体や国体出場レベルでした。

神戸大学を卒業後、
本社が愛媛県にあるという理由だけ、「ユニ・チャーム(当時は聞いたこともない会社)」に就職。

地方の小さな会社が、一部上場へと、業界をリードするような企業に成長した時期に所属していたことが今も誇りであり、このときに培った様々な経験やお客様志向が今のPIAの基礎になっていると感じています。

ユニチャームでは19年間お世話になりましたが、当時とても転勤の多い会社で、私は大阪を皮切りに、京都、滋賀、大阪、名古屋、東京と都会を転々としていました。

「家族との時間を大切にしたい。」〝家族は一緒に生活するべき〟が持論でしたので、「家族と過ごす」ことを選択したかった私は転職を決意。

当時、盛田さんの「保険を変える、ソニー生命が変える」という言葉に感銘を受け、ソニー生命に入社。

保険業界は、一生懸命お客様に尽くし感謝された数が成果となって自身にも反映されます。これほどやりがいのある仕事はあるだろうかと、まさにソニー生命時代の9年間で保険の営業が「天職」と思えるようになりました。

「ソニー生命1社ではもうお客様に満足頂けない時代になった」と思うようになります。それと同時に、「複数の保険会社の優良な商品を取り扱い、お客様の細かなニーズに応える会社を作りたい」つまり乗合代理店として独立しようと決意。

仲間と、保険代理店を立ち上げました。

ところが
乗合代理店として複数の保険会社(保険商品)を取り扱うべく、生命保険だけではなく損害保険も視野に入れて保険会社と交渉を行いましたが、生命保険会社出身の営業は損害保険なんて真剣に扱わないだろうと思われ、代理店取引の交渉は難航。

独立に必要な会社経営、営業活動、部下指導、おまけに住んでいる横浜のマンションの管理組合で理事長まで引き受けて、休みなし、寝る暇なしの1年が続きました。

ある日、
足が象の足のようにむくんでしまい、おかしいなと病院で診てもらったら、「明日から入院!」。なんと…腎臓が悪くなっていました。

それから2カ月、病室で籠の鳥の生活が続きました。
人生で初めての長期入院、それに、いつ退院できるか、社会復帰できるのか、という不安、そもそも治るかどうかも分からないという不安は、今も忘れません。しかし、保険に入っていて良かったというのは身をもって体験できました。

自分自身が「医療保険」に契約していてたので、入院期間中の治療費の心配をすることなく、家族に余計な心配をかけずに済みました。

私は、体力に自信があっただけに、自分が大きな病気になる経験をしたことで、「万が一」ってホントにあるのだ、としみじみと実感し、その後の営業活動では「医療保険」と「がん保険」は、お客様の「万が一」を考え、本当にしつこく勧めるようになりました。

ところで、この時期にマンション管理組合の理事長を経験したことは、すごく勉強になりました。

無知・無関心な理事会が比較検討することなく承認する、と言うのが当たり前の世界。必要でない補償を外したり割引のある長期契約にしたり、複数の保険会社から同条件で相見積もり取ったところ、なんと保険料が現行比で40%も下がりました。

まさに衝撃的。そしてこの時初めて、損害保険は契約の仕方でこんなにも違うのだと実感し、これからは損害保険を中心に、特にマンション管理組合の火災保険の見直しを中心にやってみようと思った瞬間でした。

その後もマンション管理組合の火災保険を見直してほしいという相談が重なりいずれも保険料が現行比で30%も安くなりました。この時、現在のPIAの営業方針の原型ができたと思います。

まだまだ世間では、「保険は比較すれば安くなる」という他の業界では一般的なことがなかなか認知されていないのも現状です。私は「一つの代理店で保険商品を自由に選べるのが当たり前の時代に必ずなる!」と信じて疑いません。

〝自ら体験した保険の大切さを伝え、そして、お客様の満足を追求する〟

自分の過去を振り返っても、保険のセールスマンが天職なんだなぁと改めて気付き、今日もお客様を笑顔にするために走りまわっています。